有機化学の大家、山本尚先生著の「日本人は論理的でなくていい」を読了したので書評します。
本から得られるもの
論理的にすべてを説明したい、しなければいけないと考える人には突飛なタイトルにみえるでしょう。
しかし、日本人がいかに特質な民族であるかを捉えれば理解できる。
日本人は内向型で感覚的に物事を受け止め、フィーリング型である。
これは以前ガイアの法則の書評でも記した内容である。
例えば、中国人が外向型で直感、思考型と言われているのと比較すると正反対であることがわかる。
風に揺れる葉の音、滝の音を左脳を使って、つまり、言語として認識しているのは日本人とポリネシア人のみである。
www.daringadvs.com
日本は戦後、高度経済成長を見事成し遂げた。これは内向的でフィーリング型の民族には困難なことであるがこれができた要因として日本全体が敗戦により一度リセットされたようになったためだという。そのような状況だったからこそ、今や世界に誇る数多の家電や車といった破壊的イノベーションが生まれた。つまり一時的に欧米や西洋的な思想になったからこそ成し遂げられた。
これは中野信子さんの「努力不要論」に書いてあることにも一致すると思う。外国勢は0から1を生み出すのが得意だが、日本人は1を100にするのが得意である。
そう、不便なところや改善点が見えすぎて、いい意味で困るのである。
だから海外から入ってきたものも100倍に良いものにして輸出できる。
更に、日本人特有の民族性、フィーリング型はなんと日本人ノーベル賞受賞者に限らずほぼ全員にみられるという。
他の国と同じような思考回路を育成する必要はない。日本人には素晴らしい回路が既に備わっている。
日本人の特性をどう生かすか、どう引き出すかが書かれている。
他国の民族性を周知することで良好な関係も気付けるかもしれない。
著者のプロフィール
1943年兵庫県生まれ。
中部大学先端研究センター長、分子性触媒研究センター長、教授。名古屋大学特別教授、シカゴ大学名誉教授。京都大学工学部工業化学科卒業。ハーバード大学大学院化学科博士課程修了。元日本化学会会長で「ホンマでっか!TV」に出演されていたことも。
2017年に有機化学で最も権威ある「ロジャー・アダムス賞」受賞。
本の概要
日本人は内向型で、感覚型で受け止め、フィーリング型である。
これは西洋文化と正反対であるだけでなくお隣の中華人民共和国や大韓民国とも相反する。
彼らは外向型で直感・思考型と言われている。彼らは相手を誤解してでも、人の優位にたとうとするが、内向的な日本人は単独を嫌い、集団の一員になることを好み、無私性を尊ぶ。(ガイアの法則に一致)
内向型の人は内界の生命の世界に目を向け、外向型の人は外界の物質世界に目を向ける。
また外向型は区分・区別を目指し、対決を好むのに対して、一般には内向型は融合、和合を目指し、対決は好まない。
著者のラボでは、メンバーの長所を褒め、短所は無視し、決して自らの視点からコメントをしないことがルールだそう。するとより生産的な議論が生まれ、その人は自分の短所にみずから気づく機会を得ることができる。大げさなくらい褒めてちょうどいい。
するとラボに一体感がうまれ、研究が加速する。
著者は学生だった時、ハーバード大学名誉教授、数学者の廣中平祐先生に「君はそんなに毎日忙しくしていて、不安じゃないのかい?」と言われた。「働いていないときのほうが不安です」と答えると、「わたしは、何もしないで自宅のハンモックに揺られてぼんやり考えている時こそ一番安心する!」と言われた。「大切な自分の人生の時間を、不要不急の仕事で無駄に費やしているのではないかと思うと、とても不安になるのだよ!」
つまりあまり突き詰めて考えていたのでは、本当に良いアイディアは浮かばない。
そのアイディアに論理的説明が全くないものは危ういが、少しでも説明がつきそうなものなら試す価値がある。
しかし、日本にはそのような優れたアイディアをもつ博士課程の学生の数が少ない。
優劣の話ではなく、母体の話である。
なぜなら大学院の博士課程は海外からの留学生に占領されており、しかも彼らは日本政府から潤沢な奨学資金を得ているのに対し、自国民には採択率の低い奨学金を応募させ、一部のみ資金を与え、大部分を落とす。こんな不公平では、釈然としない。
また日本では未だに講座制を敷いているおかげで斬新、革新的な研究分野に手を出せる若手研究者が育たない。そこで著者は有機化学の分野内で、大津会議など選ばれた若手が集う機会を設けて切磋琢磨してもらいたいとしている。
気付いたこと
日本時代に日本人は自分の意見を言えないとか会議ではなにも発言できないとか聞いたことがあるが、それは言えないのではなく言わないだけであると思う。
普段はやらないが、暇なとき友人が話している英語を日本語に訳して理解してみるときがある。
その結果、分かったのはそんなことは日本語では言わないということ。
そのような文章や言葉を発したことがないのである。
これは個人的見解だが、文書の肉付けが多すぎる感が否めない。
英語は結論をストレートに言うと教わったことがあるが、それは文法上仕方のないことで、そのあとの肉付けが長すぎる。そんなこと言わなくていいことまで日常的に話している。
つまり、日本人は話せないのでなく、普段口にしないことだから話さないだけであると感じた。また、阿吽の呼吸も大きな要因だと思われる。
メンバーの長所を褒めちぎるというのには少し驚いた。昔の有機化学の先生といえば檄を飛ばして学生が実験する感じが多い。しかし著者は短所を無視して、長所を褒める。
これこそ今の日本に必要なものだと思う。甘やかすとは違う。その人が持っている素晴らしい人間性や能力をその人がオンリーワンになるまで育て上げる。
まるで鴨頭嘉人である。
ぼんやりと考える時間は大切だと日ごろから感じている。
例えば、学部、修士の時は寝る間も惜しんで実験していたが、かなり体にダメージが来ていた時があった。そこまでやっていたのは実験していないと不安だったから。
そんなある日午前4時に体が動かなくなってしまい、ぼんやりと反応フラスコを眺めていた。
するとアイディアがあふれてきて、一気にその研究が加速したことがある。
日本人博士課程学生の劣悪な金銭援助は有名な話で、それが理由でスイスを選んだようなものだ。
お金がネックで進学をあきらめた同期もいる。
彼らがアカデミアに残っていたら日本のアカデミアがいまより少し明るかったのは否めない。
もっと学生に投資するべきだと思う。
まとめ
いかがでしたか。
山本先生がここまで民族の特性をご存じで、それを研究に生かしておられるとは正直驚きました。
海外にいると学生の要塞のような論理武装には驚かされることもありますが、私は私らしくやっていこうと改めて思わされました。
では、ご参考に!
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B08K8XCLQ7/ref=as_li_tl?ie=UTF8&tag=daringadvs-22&camp=247&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=B08K8XCLQ7&linkId=73b3b608f549527bf63c0f7996f63b8e